​おじじのヒーリング物語 その1

ヒーリング能力の目覚め

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 ある時、突然能力が開花してヒーリングを始めました。都合の良すぎる話のようですが本当のことです。それは僕にとって先天的な、でも使い方をずっと知らずに眠らせてきた能力だったようです。27歳の時のことでした。それ以来(2007年)ヒーリング業をしています。

 最初の内、「ヒーリング」という言葉には抵抗がありました。そういうことをしている自覚がなかったからです。僕はもともとスピリチュアル的なことが好きではありませんでした。今でもあまり好きではありません。どちらかというと素朴な考え方をしたがる学究肌の人間なのです。でも人に説明するには何か言葉が必要です。ヒーリングではないとは言っても、じゃあ何なのか。自分が何をしているのか自分自身では分かっていても、上手く伝えることは出来ませんでした。僕は自分のしていることは「調和をもたらす」ことだと思っていました。

 僕の物の考え方の始まりにはプラトンや老子やヘッセといった人々の言葉がありました。それは万物は大きな調和の元に織り成されていて、人間はその中で取るに足らない小ささと無限の大きさを同時に持ち合わせている、そして生きることは素晴らしい、というものです。生きることの素晴らしさを伝えたい、というのは僕の人生で、僕が抱いた一番最初の願望でした。その頃僕は20歳くらいでまだ世間も知らず、この願いは大きいものだけれどそれほど達成するのは難しくもないだろうと楽観していました。今となっては最高に幸せな若者でした。

 しかし実際の世の中を見渡してみると真逆の現実にたびたび遭遇し、特にヒーラーになってからはその観察結果が残念ながらさらに確かなものになっていくことを認めざるを得ませんでした。人間は人間だけが天下を取ったような顔をして生きていますし、大きさも小ささも、感じる時はただ目の前にいる人との立場関係だけに拠っていて、宇宙の中で大きいとか小さいとか、そんなふうに考えている様子はありません。それはおかしなことだからしっぺ返しが来る。これが実際、人間の不幸と病気の元になっているのです。

 僕は元々は教師になりたいと思っていました。でも公教育の理念は平均化と共にあります。平均化つまり皆と同じようになるという結局出来もしないことに、どれほど多くの人がそれを出来ずに苦しんでいるかということを見るにつけ、幸せへの鍵がそこにあるようにはどうしても思えず、僕は真逆の考えつまり特殊化に向かうようになりました。つまりその人だけにしかなれないその人になる、ということ。そしてそれは表層の、世の中の価値観に流された結果としての「自分らしく」ではなく、もっと奥深い、その人自身ですら制御できない魂の基本的な欲求なのだということをユングから学んで、大いに共鳴したものです。僕は大学を出た後、就職はしないままこのような考えを巡らせたり深めたりしながら、世の中を照らす光を、強かろうと、か細かろうと、どのようにして自分は作り出せるだろうと探求していました。そんな歳月の終わりに、冒頭に述べたヒーリング能力の目覚めがあったのです。

「調和」ということ

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 ヒーリングをしていると、その人の本当の心、または潜在意識、または37兆個の細胞、そういったものが何かを願望していることに気付かされます。それはいつもはっきりした声ではありません。さながら隣の部屋で誰かがもごもご喋っているように、初めの内は聞き取りづらいものです。でもお客さんと一緒に耳を澄まし、心を寄せていくと、次第にその声は明らかになってきます。それは得体の知らない共生者や寄生者の我儘や無理難題ではなく、必ずや幸せへの願望なのです。どうしてそんなに明白な声が聞こえなかったのだろう?どうして自分の誤って思い込んだ価値観に固執して自分を省みてこなかったのだろう?聞こえるようになった後で誰もがそう思います。それは自分の染まっていた常識が、「そんな声はどこにも存在しない」と主張し続けていたためなのです。僕たちは大切で当たり前のことを、子供の頃に忘れてしまったのです。

 一度塞いでしまった耳をどんなに傾けても、そう易々とは聞こえてきません。だから僕はこの領域には、人と「聞こえない声」との間に立つ通訳者が必要だと考えています。お客さんとアトリエで時を共にし、語らい、ヒーリングをすることは、幸せに向かって手探りしながら伸び進んでいこうとする潜在意識と、その真逆の方向へ無理やり自分を引っ張っていこうとする表層意識との間を取り持つことです。幸せのために、両者の間には相互理解と歩み寄りが必要です。この時起きることを、僕は最初に「調和」と言ったのでした。

 人間にとってこの調和が難しい理由は、世の中全体が、ある一定の方向に人々を差し向けようと強く運動し続けているからです。それは不幸の元であり、病気の元です。病気をすると、原因は何々であるとか何々を飲めば治るとか考えることは非常に残念な誤解です。本当の原因は、自分自身を知らないこと、そして大宇宙の中に生かされていることを忘れていることにあります。僕はそれをヒーリングや言葉によって一人でも多くの人に伝えたいと願い、この仕事をしています。

これまで

 今となっては筋道立ててぶれることなくこのように言えますが、最初の内は本当に未熟者でした。それまでになかったヒーリング能力を扱えるようになると、自分が万能になったような気持ちになり、色々な人に会っては症状を言い当てたりその場で治したりしたものです。驚かれましたし感謝もされました。駆け出しの才能ある魔法使いの少年のように鼻高々になり、それと共に僕は最初の自分の思想を次第に横に追いやるようになりました。求められるものが症状の解決であったため、それが僕にとってもいつしか達成目標になりました。有難いことに状況が改善された今は違いますが、当時のその時点では調和などと言っても耳を傾ける人はいませんでした。結果として、僕は調和と真逆のことを重ねていきました。病気とは、表層意識という、より無知で欲張りな人格が、潜在意識の自然のリズムや欲求を無視し、抑圧するところから始まります。ならば本当の解決はこの不調和を解決することであるはずなのに、僕はその人の「病気即悪」といった表層的な考え方を変えることには成功しないまま、ただ症状だけを取り除くということに集中するようになりました。潜在意識の通訳者ではなく、ただの表層意識の便利屋に成り下がったのです。

 間違った思想から生まれた力には自ずと限界が定められているものです。それでも、このような方法でも結果を出せるくらい強い力が、幸か不幸か僕にはありました。だから力づくの限界に気付くのにはとても時間がかかりました。これは間違っている、本来の道に戻らなくてはと何度か思い、でもまたお客さんの求めに答える形で流され、8年くらい行きつ戻りつしました。ようやく最近になって僕は本来の自分の考えに立ち戻ることが出来ました。だから僕は今では病気治しということを目的や成果にはしていません(応じていないという意味ではなく、それを謳い文句にしていないということです)。ようやく自分の信じていた本当の世界を、自分の言葉で落ち着きをもって語れるようになりました。

 でも同時に語ることは少なくなってきました(生命世界という広大な宇宙を語るには、これだけ書いてもまだ寡黙な方ですよ(笑))。それは僕が、この宇宙を満たしている力や法則のすべてを言葉で伝えることはとても出来ないということを学んだからです。例えばあなたの細胞は言葉では語りません。恐れや震えや安らぎの様子によって、彼らは彼らの状態や願いを伝えています。確かに言葉で「聞き取る」人もいるでしょう。でもそれは見立てに過ぎず、彼らの声そのものではないのです。僕たちは言葉なしには生きられない存在ですが、世の中には――とても身近なこの内なる世界にも――言葉なしに躍動している者たちが沢山います。言葉で何もかも分かろうとすることは、あまりにも人間中心の世界観であり、彼ら言葉を持たない者たちに対して充分留意していないことの裏返しです。何もかも言葉で分からせてほしいという欲を抑えて耳を傾けると、内なる細胞世界にも外なる自然世界にも沢山の声が満ちていることに気付きます。鳥はただ滅多やたらに鳴いているのではなく、時々あなたに何かを伝えようとして鳴いているのです。それは何だろうと知る必要ないのです。ただあなたが耳を傾ける時、あなたは「私が、私の、私に・・・」で埋め尽くされた世界を一瞬でも離れて、もっと豊かで度量の大きい世界に少なくとも接しています。僕たちにはそういう体験が必要です。毎日生まれ変わるために、毎日新鮮さと喜びを見出すために。

 

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願い

 毎日の暮らしの中に、あなたのすぐそばに息づいている言葉なき者たちを精霊と例えば呼びます。彼らは物語の中にだけ存在するのではありません。彼らは静かに海の藻のように漂っています。あなたが行こうと思っても精霊たちが行くべきでないと思う時、靴紐が解けたりします。こういうことは偶然ではないし、思い込みでもないし、この世のあるがままの姿です。精霊たちと細胞たちは最終的には似た存在です。それはあなたを織り成す、あなたの元に集う、言葉なき無数の存在。彼らに生かされ、彼らと分かち合う形で、人間は理想的に生存します。精霊や細胞たちの働きや心に気付ける人は自然と、自分自身に優しく、そして他人に対しても優しくなれる人になります。そんな人の周りには優しさという空気がまとわれており、それは幸せや健康と不可分のものです。こういうこともまた調和の一側面なのです。

 一人でも多くの人がこのようなことに気付いけば遠い未来にでも人間の社会とこの地球という星はもっと幸せになることでしょう。現実にはこのようなことに気付きたいと心の奥底でも願っている人はとても稀です。多くの人は気付きたくないのだと思います。そのことに気付いてしまうと、自分の生き方を色々変えないといけなくなってしまうから。社会や家族や友達と折り合いが悪くなってしまうから。でも一方で、気付きたい、もっと小さなものたちと手を取り合いたい、もっと大きなものに抱かれていきたい、と願う人はとても少ないですが僕を見つけ出して頼ってきてくれます。付き合いは自然と長くなります。なぜなら内なる宇宙も外なる宇宙も本当に壮大深淵で、その語りが尽きることはないからです。その終わりのない営みを失望ではなく喜びとして見出せる人に、僕は僕に出来る協力をしていきたいと願っています。

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