カウンセリングの勧め・・・又は勧めない
昨日はカウンセリングについて書く予告をしていたのですが、そわそわまどか君から手を離せず、叶いませんでした。
時々そんな日がありますが、昨日はなぜか最高潮でした。
そんな時でも顔色一つ変えずむしろますます寛容になる菜嘉は聖母かと思います。
僕は割と普通に参ってきます。
まあ、役割分担かなということで。
本格的におせちを作り始めて何年になるか分からないですが、毎年反省があり、それを翌年に活かす・・・ということで、去年の自分から今年の自分へのアドバイスは
「早めに買い出しは済ませよう」
であったはずなのですが、まどか君がいることは想定外でした。
今年、鰤(ぶり)だけ最後に回してしまったのです。
耳にだけ経文を書き忘れられた耳なし芳一のように。
そうしたら鰤、もう全然ありませんでした。養殖しか。
養殖の魚はかなり体に苦しいので、まして正月早々おせちで頂きたいとは思えず、今年はパス。
(*その後、天然鰤を見つけたのですが価格が2倍。
馬鹿らしくてやめてしまった。)
という訳で来年の自分へのアドバイスは
「鰤だけはもっと早く買っておこう。そして冷凍しておこう」
おせちは毎年10品くらい作るのですが、一日で一気に終わらせるのが好き。
着物を着て気を引き締め、静かにしかしてきぱきと、一つ一つ仕上げていくのが心地よいのです。
しかし今年は流石にそれは無理だろうということで、日持ちするものから順に、今日から作り始めています。
それにしても凡そ10人前ともなると、なますの仕込みをするだけでも1時間近くは包丁を握っている気がします。
今日はまどか君はそわそわではなくすやすやだったので、出来ました。
明日もこんな調子だと良いですが。
さて、カウンセリングの話。
最近カウンセリングのご用命が続いていました。
実は僕、忘れていました、カウンセリングがメニューにあること。
それくらい久しぶりだったんです。
しかしわざわざお客様の方からお求め頂き、思い出させて頂いた格好です。
凄く感謝され、「ああ、やって良かった」と心から思いました。
そして「これからは真ん中に据えてやっていこう」とも。
ちなみに勿論僕はカウンセリングの資格なんて持っておりません。
ヒーリングと同様に。
ただ、相手の話を聞き、問題点を見抜いて蠍の針で急所を突けるというだけの話です。
でもそれで誰かの心が軽くなり、道なき人生に道を見出してもらえれば嬉しいです。
頂いたご感想を。
「きっと頑固で我が強いめんどくさい人間だと世間では放っておかれるのでしょうが、河邊さんは心を背けるどころかより深くより熱くより厳しく本当のことを伝えてくれました。それはこの世界でもっとも希少でお金では手に入らない愛だと感じました。
自分が確信を持って信じてずっと続けてきたことが、実は「今のあなたには必要ありません」と言われることは、もっとも信頼を寄せる人からでもこんなにも苦しいことで受け入れがたい認めがたいことなのだなということがわかりました。
でも、河邊さんの紡がれる言葉を聞いていくうちに、自分の中で見てなかったパズルのピースが見つかってきて、河邊さんがおっしゃりたいことがわかるようになりました。
最後には今の自分に必要なことを心から感じられ、のしかかっていたものが氷解して、カウンセリングを終えることができました。」
僕のカウンセリングは場合によってはとても厳しいです。
かなり辛い思いをすることもあると思います。
と言っても厳しい言葉で責め立てるみたいなことをする訳ではありません。
ただひたすら心の弱点、固定観念、エゴや怖れを突いていきますので、指摘や助言を受け入れるにも尋常ではない努力が必要な場合もあります。
それでも!と思われる方は是非、カウンセリングも選択肢としてあることをご記憶に留めておいて下さい。
問題認識が深刻であればあるほど良いです。
「とりあえず何か言ってもらおう」という段階ではお勧めしません。
沢山宿題を山積した状態でいらして下さい。
お勧めしたいし、お勧めは出来ないし、という感じですが、何であれ皆様のお役に立てれば嬉しいです。