カルマ1 罪と積み
明日8月1日は獅子座の新月です。
お申し込みをお待ちしております。
我々の幸福度はカルマに深く関係しています。
カルマの多い人は不幸を、カルマの少ない人や全くない人は幸せを感じています。
幸不幸というのは勿論、主観的な感覚です。
大金持ちでも不幸な人もいます。
誰も友達がいなくても幸せな人もいます。
カルマの量はどのようにして決まるのか?
それはツミの量によって決まります。
ここで言うツミとは刑法上の、又は倫理上の罪とは一致しません。
その意味するものは「積み」です。
「積む」内容は感情であり、又は現実です。
例えば腹に一物を持ち続ける人は感情を積んでいます。
又は正直になることから逃げ続ける人は直面すべき現実を積んでいます。
人間社会の罪は、積みの上澄みを言い表しているものに過ぎません。
この社会が不穏なのは、罪のみに注意し、積みを軽視するからです。
罪人にならないように全ての人は注意しますが、「積み人」にならない努力をしている人はまずいません。
例えば嘘を付くことは、それが犯罪でないなら罪ではない、と多くの人は考えます。
しかしその一方で「嘘つきは泥棒の始まり」と言いますね。
この言葉こそが真実で、それは嘘の積みが泥棒の罪に帰結する、ということです。
ちょっとのツミが最終的に刑法的または倫理的罪に繋がってしまった覚えは、皆さんにもきっとあることでしょう。
善人ならばカルマが少ないという保証はありません。
膨大なカルマを抱えた善人は沢山います。
しかしそれは必ずしも個人の責任ではありません。
積みは問題ではない、それよりも腹の底で、頭の片隅で何をどんなに積んででも、上っ面の善人ぶりを磨くべきだとの社会の教えに毒されているので、気付くまでは無理もないことなのです。
明日の新月に向けて、ご自分の積みの多さを自問してみてください。