男性目線のとつきとおかと自然分娩物語

最終更新: 2019年11月5日

このとつきとおか、多くの学び、多くの感動がありました。

ブログにしては超長文になりますが、まとめて書いてみたいと思います。

誰かの心の灯になることを願って、腕まくりせず、いつもの感じで・・・

僕がずっと子供が欲しくなかったことは言いましたね。

理由は二つありました。

一つは、僕はこの世界を幸せな場所だと思っていないので、生まれてきても子供は幸せになれないと思っていたからです。

もう一つは、自分の生まれ育った家族に温かい家庭のイメージがなかったので、自分も親のように子供を持ち家庭を築きたいという発想がまったく湧かなかったからです。

それにもかかわらず深い所では自分が子供を持ちたいと望んでいることに気付いたのは、早くも高校生くらいの時でした。

初めて付き合った恋人に対して、「自分の子供のお母さんになる人ではないな」と無意識的に思ったのを覚えています。

子供との関わりは、実はその頃ひそやかに始まっていたのだろうと思います。

でもそれは水面下の流れで、表層意識では20代中盤には子供は全然欲しくないと心を決めていました。

理由は先ほど述べた通りですが、上述の二つの問題の深刻さが10代の時よりますます鮮明に目に見えて分かるようになってきたからです。

その上、数年後には更に第三の理由が加わりました。

「こんな仕事をしていて、子供が幸せになれる訳がない。」

27歳、僕はヒーラーとして生きることを始めていました。

ごく少数の人からどんなに信頼されても、そのような人はこの世界のごく一握りであって、自分の輪から一歩出れば僕は後ろ盾も資格もない、眉唾ものの仕事をしているあやしい人だと見なされることが多々ありました。

今は経験も積んで、20代の不安定さも影を潜め、世の中と少しずつ互角に近く渡り合えるようになっている気がしますが、その当時を振り返れば、「自分が社会の中で認められる可能性はほぼ無いだろう」と諦めていたのも無理のないことでした。

それに僕にはヒーラー以外の生きる道は全く考えられませんでしたし。

社会に溶け込めない変わり者を父親に持つ心の負担を、子供にかけたくなかったのです。

でもこれもまた以前お話したように、なかの前に占い師が現れ、こう告げました。

「空で待っている非常に縁の深い子供がいる。

どれくらい縁が深いかと言うと、その子に会うためにご主人は生まれてきたくらいのものだ」と。

僕は10代の頃には子供を予感し始めていたのかもしれない、と書いたのは、多分この子はその頃から僕のことを空の上から見始めていたのだろうと思うからなのです。

また僕の仲間はこう言いました。

「そこまで環境の準備や幸せになれる保証に固執するのは、おじじがそれだけ本当に子供を大切に考えているからなんだよ」と。

それは確かにそうだと思いました。

でも僕の諦めは固かったですから、彼もずっと様子を見ていたのでしょう。

やがてなかと暮らし始めるようになり、お互いの中に、子供の頃から信じ続けてきた人間性を見出しました。

でもそれでも「この二人でなら子供を持てる」と心が変わることはありませんでした。

それで僕となかは年老いて死ぬまで二人で暮らして、この肉体が死んだら別のもっと良い星で遊んで暮らそう、とよく言っていたものです。

ところがその占い師の件があり、がつーんと来ました。

それから数年経つ中で、なかはたびたび出産の夢を見るようになります。

そして僕は、ある日〈朽ち果てた家の夢〉を見たのです。

この朽ち果てた家は、僕の生まれ育った家族の疎遠と薄情、それを吸い込んで育った僕の心象風景を表しています。

そして僕は「子供がいたらこの家は豊かに立て直るのになあ」と思う。

そういう夢でした。

朝、この夢をなかに語るまでにはとても勇気が要りました。

なぜならこの夢のことを話したら、自分は子供を受け入れることをもうこれ以上は先延ばし出来なくなるだろうと分かったからです。

でも流石にこの道も長いので、ここで流れを止めたら物事がおかしくなることは分かっています。

それで夢とその解釈を伝えました。

「子供を持とう」と。

具体的な話で申し訳ないですが、一回で着床しました。

そういうものなのだと思います。

来るところには来るし、来ないところには来ない。

それは縁でしかないのです。

子供の魂が来ていたから、あとはスイッチを押すだけだった訳です。

子供の魂が来ていないなら、スイッチをどんなに押しても意味はないと思います。

でもそれを受け入れることが出来ず、不妊治療というスイッチを押し続ける人はいますが・・・

もし僕が進言して良いのなら、

「あなたにも魂の縁は必ずあるはずですから、求めるのならまずは縁ということを感じ、大切にするような生き方をしてみて下さい」と言います。

縁は大切にすればするほどその厚みと強さを増していくものです。

そして縁を引き寄せます。



子供を産む産まないは、必ずしも人生の本題ではないと思います。

多くの人は「子供を持たなければいけない」と決めてかかり過ぎているように見えます。

そりゃあ確かに子供がいたら楽しいだろう幸せだろうと空想するのは分かるのですが、でも一方では互いに相手を憎むような親子関係もある訳で、軽率な願望をいったん保留して冷静に考えれば、子供を持てれば自動的に幸せになるなんて保証はどこにもない訳です。

前提として自分には人との間に幸せを維持する力がちゃんとあるのか、そここそが問題のはずですよね。

そして自分の今回の人生は子供を持つシナリオなのかな、それともそうではないシナリオなのかな、と静かに思いを馳せる。

幸せの形は色々あるんですから。

毎日呼吸を深くして思いを馳せれば答えは心の奥深くから浮かび上がってくるし、浮かび上がってきたら自然と納得できるし、納得出来たらその通りに人生が回り始めます。

僕となかはたまたま今回は、子供を持つ流れだったからそれに従ったまでで、子供を持ったから幸せだとか、そうでなければ幸せにはなり得なかったとか、そういうことは微塵も思っていません。

なぜなら子供を持つ前から、僕となかは幸せでした。

「ラッキーだったから」ではなくて、幸せになるための努力、幸せを続けていくための努力を毎日惜しまなかったからです。

幸せは偶然の結果でも幸運の結果でもないと僕は信じています。

純粋に、追い求め続ける心が作り出すものだと思うのです。

占い師の告げたように、僕の所に生まれてくる子供は決まっていました。

(遡ってそれと分かる日として)受精後すぐ、夢を見ました。

玄関に男の子が立っています。

「僕のお父さんとお母さんはここですか?」と尋ねます。

咄嗟に僕は「いや違うよ、あっちの方じゃないかな」と言って子供を帰らせました。

この子ではない、と分かったからです。

それで「いよいよ〈彼〉が来るんだ」と思うようになりました。「他のどんな子とも替えが利かない自分の子が」と。

次第に分かってきたのですが、僕となかと〈彼〉は遠い遠い昔に親子であったようです。

そしてこの星に良い働きをする、という魂の仕事をしていました。

今回、もう一度それをすることになるのだと思います。

僕は朽ち果てた家を建て直し、彼が新生したその家に人々を招く。

そんなイメージです。

それは僕と彼が世代をまたいで協働する仕事であるようです。

横道ですが、時代と世代について僕の考えを述べておきたいと思います。

ここからは僕の得意な小難しい話。



人間の精神文化というものは一代で築き上げることは出来ません。

世代の連続だけがそれを可能にするのです。

例えば江戸時代、と振り返った時、そこに誤謬などはあるにせよ一定のイメージを持つことが出来るのはそこに世代間の文化の連続性があるからです。

ところが第二次世界大戦の敗戦で日本は木っ端微塵に砕かれ、ありとあらゆる「正しい」とされることは終戦の日を境に180度変わりました。

そして瓦礫の中からの復興、高度経済成長、そしてバブル。

物質的には繁栄しましたが、信仰や生活文化や家族の絆はないがしろにされ、振り返ってみれば戦後世代が後に残した精神世界は幼稚園レベルの様相です。



なぜそんなことになってしまったのか?

それは精神文化が完全に破壊、否定され一からリセットになったからです。

幾世代にもわたる継承がなければ、一代限りでは人間は幼稚園児も同然なのだということを戦後の日本の状況は明らかにしていると思います。

なぜ日本人は上から下までこんなにもへらへらちゃらちゃらして地に足がついていないのか?こんなにも自分でいることに自信がないのか?人と人がまともに会話出来ないのか?ということです。

何か人の群れとして大切なことを、伝達し損ね、学習し損ねたのです。

そんな破壊された共同体の外でもお金さえあれば孤独にでもそれなりに生きていける。

これは経済先進国の最大の弱みと言えるでしょう。

そういう環境がますます人々を自閉的に、幼稚化させていると僕は観察しています。



戦後世代を非難している訳ではありません。

個々人ではなく総体として世代が一定の傾向を示したのは、社会環境がそのようであったからです。

一方では彼らが精神性を置き去りにしてまで物質的な復興を完遂してくれたおかげで、我々70年から80年代生まれの世代は楽々と物質的充足に足をかけ、精神性を問うことが出来るようになったのは事実です。

食べ残せるほど満ち足りた頃、人は生きる意味を考え始めるものです。

ですから僕たち世代は親世代にその点、恩義があるとも言えるでしょう。

しかし同時に、あまりにも情緒や感情を置き去りにした物質主義は、我々の世代の意識を根底から不安と孤独に満ちたものにしました。

この世代が、葛藤の中で道を開くインディゴ世代と呼ばれているのには、このような説明が可能であると思います。

インディゴ世代が痛切に求めている「物質よりも精神を」という考えには、親世代への批判、物質主義への反動という動機が秘められています。

この精神主義の一角に自然療法やスピリチュアル分野は組み込まれています。

僕の考えでは、現時点での自然療法の世界観の限界はここにあります。

つまりその需要と供給は多くの場合、心の傷や歪みから生じたものであるということ。

しかし反動はそれ自体が先行条件に依存した発生形態です。

そういったものは往々にして短絡的で、決して長続きしないか、誤った盲信に突き進んいくものです。



例えばワクチンに関する議論。

ワクチンの批判を出来るのは、ワクチンによって疫病で人が大量死する歴史が終わった事実を、多くの人が知らないからです。

と言って、勿論、「だからすべてのワクチンは絶対的に良いものだ」と安易に結論するのも軽率でしょう。

どこからどこまでが必要なのか、どこからは必要以上のもので、自然の感覚を殺すものなのか?

それを心の目で見定めることは、ただただ我々一人一人にしか出来ないことです。

僕が医学的処置や薬を単純否定せず、ただし全面肯定するのでもなく、安易に盲信や依存をしない範囲において自然治癒力との共存協調を時々伝えているのは、こういう理由があるのです。



反動としての自然療法には、例えばワクチンのおかげでそもそも死なずに済んでいるのでこのような議論が出来ているという前提を見落としている、というような危うい見識不足と理想主義が付き纏うことが多く見られます。

それは「自然が一番」「科学は嘘」という短絡的な原理主義に人を駆り立て、しかしそれは極論なのでその自然療法によって結局誰も幸せには出来ず、自然主義に反するすべてを批判すること自体を目的とする排他的姿勢しか喚起しません。

それでは何の意味もないのです。

我々は否定するために生まれてきたのではないのですから。



しかしこのような、単純な答えが出ない話を人に伝え、理解を得ることは何と難しいことでしょう。

知性の中庸はまだまだ遠い所にあります。

なぜ世代の話を長々したのかと言うと、社会の風潮の変化には世代を超えた時間がかかり、そして一代だけでは何にも出来ないということをお伝えしたかったからです。

僕がどんなに努力した所で、ヒーリングの神髄の思想を理解できる人の絶対数を上げることは出来ません。

時代に対して尚早だからです。



確かに変化はますます加速しています。

しかし団塊の世代に育てられた僕たちには、その伸びしろに絶望的な限界があるのです。

例えて言うなら、道路はどんどん最新技術で滑らかになり走り易くなっているけれど、僕たちが親からもらった心の車は昭和50年製のポンコツ二輪です。

僕たちがどんなに「すべては自分次第」などと言った所で、その印象はかなりぎこちない。

それは僕たちの発想の根幹に、非常に重い「こうあらねば」という物質主義時代の教育が鎮座しているからです。



しかしその次の世代はどうなるのか、考えてみて下さい。

親世代は「こうあるべき」「そういうものだ」に縛られそれ以外の発想の自由はありませんでした。

僕たちの世代はそこに不満と疑いを覚え、ようやく精神の自由らしきものに足をかけました。

次の世代はそこから「反動」ではない真の自由を体験し、失敗し、あるいは花開かせていくことでしょう。

その時代には「エライ人がこう言ったから云々」というような重苦しい発想はもはや究極にダサい発想として嗤われることでしょう。

そのような時代に、反動ではなく自然とそこに一人で立つヒーリングという木があれば、そこから初めて、ようやくヒーリングはこの世界に必要なもっと良いことを伝えていくことが出来る、と僕は予期しているのです。

妊娠が分かったことによって、僕が理解したのは「ああ、自分の仕事はここまでだったんだ」ということでした。

「ここまで」というのはまさかもう引退するという意味ではなくて、この地均しの工程までなんだ、ということです。

これを広げていくのは息子の役目。

そのために僕は彼にアトリエこしきとヒーリングの哲学と知識を残そう、それが自分がやり遂げたいと願い続けてきた世界への奉仕の方法だったんだと悟ったのです。

つまり自分が一代でやろうとしていたことは、実は彼と二代かけてやっていくことだと分かったんですね。

「心の始まり」

長い悪阻(つわり)が明けるとなかは楽になりましたので、それからは残す二人暮らしの日々を愛おしむように、出かけたり遊んだりしました。

二人とも真面目でかつインドア派なので、いつもするのは仕事の話、人生の話、心の話。

デートらしいことをしたこともなかったので、この最後の時期には水族館やプラネタリウムに出かけたり、なかが行きたいレストランに連れていったり、楽しく過ごしていました。

その間にもなかのお腹はどんどん大きくなり、胎動も活発になり、日に日に予定日が近付いてくるのを、いまだに夢で信じられないような気持ちで過ごしたものです。

胎児はいつ「思う」ことを始めるのか。

これは非常に興味深い問いです。

エコー検査で初めて我が子を見た時、確か落花生一つ分くらいの大きさでした。

でもすでに脳を持ち、仮に外に出たら掌に載せることも出来たでしょう。

そうしたらぴくぴくと動いたことでしょう。

その小さな心臓が驚くほどの存在感で生存を主張しているのです。

初めてその心音を聞いた時、背中に燃えるような熱が走りました。

長い歴史を通じて今までに一度も生まれたことのない個体が、そこにいる・・・

何とも言えず不思議な感覚でした。



心の始まりがいつ、どの段階で始まるのかというのは確かめようがないと思います。

ただ、いつの間にか肉体がひとりでに生成していくように、心という不可視の有機体もまた、ある時芽生え始めたことでしょう。

でもそれはどんなふうに?



はじめて「ここにいる」と認識するのはいつでしょうか。

はじめて「温かい」と感じるのはいつでしょうか。

そしてはじめて「怖い」と感じるのはいつなのでしょうか。



いつ胎児は夢を見ることを始めるのでしょう。

そしていつ、夢と現が違うことを知るのでしょうか。



最初はすべてが溶け合い混沌としていたものが、次第に分化を始め、あらゆる感覚や感情を自己の内部で分類して感知することが出来るようになる。

そして今起きたことを過去に起きたことと繋げ、未来にも投射することによって願いを持つようになる・・・

こうした心の芽生えとその孵化への道筋に、ただならぬ何かを感じるのです。

それは進化するものとしての生物が辿った道とまさしく同じなのでしょう。

アダムとエヴァは自分が裸であることに気付いた、それに相当する人の歴史はどの時点にあったのでしょうか。

自分が自然から切り離されていると感じたのはいつだったのか。

死を初めて恐れたのはいつだったのか。

神に罰せられると脅え出した時、祖先はどの程度、ヒトになっていたのでしょうか。



ある日突然目覚めたとは思いません。

少しずつ、世代交代の中で、他の個体よりも深刻な面持ちの猿が現れたのかもしれないですね。

死んだ仲間を他の猿よりも悼む猿や、インスピレーションを受け取って未知の道具を使い始めた猿が、ちらほらいたのかもしれませんね。

そんな時、猿は初めてあの世や霊的存在の囁きを聞き始めたのかもしれません。

もっと遡れば、いつからか生き物は子供を養育するようになりました。

それまでは産みっぱなしであったのが、産んでから乳を与えて育てるようになった。

その時、子宮や乳腺に起きる生理反応と同調して起きる愛情の芽生えに、最初の個体たちはどんなに戸惑ったことでしょう。

でもその感情を吟味することが出来るようになるまでにはそれから何十、何百の世代が要ったことでしょう。

そこから更に進んで、生理現象から感情を切り離し、愛さない自由すら得られるようになるまでには人は何と長い道を歩いたことでしょう。

このようなことに思いを馳せると、なかを通して子供に伝えられる遺伝子は、最初の多細胞生物からここまで一筋に繋がっているのだと、地球上の生物の歴史を、お腹の皮一枚を挟んだ向こうに垣間見るような心地がするのです。

胎内記憶の本を読むと非常に興味深いことが書かれています。

ほとんどの子供が、自分で親を選ぶそうです。

そして母親を喜ばせたいという願いを持っている。

母親が見たものを子宮の中から見ている。

そんなことも報告されているようでした。

なかが「今日の夕空が綺麗だったので転送できる気がしてやってみた」などと言った数日後に、そのような本を読んだのでした。



同時に、空で待ち続けた僕たちの子は精神体として空中に留まり続けていました。

僕が日頃交流している霊的存在のように、どこにでもいて、でもお腹の中にはまだ入っていないのが分かります。

よく話が出来るのは我が家で行ける空の下、すなわちベランダでした。

そこで色々なことを話しかけてくるのです。

今日、こんなことを言っていたよ、となかに言うと、「私にも同じことを言っていた!」と。

そんなことが何度もありました。



胎内記憶の本を読んだ後、子供に対しての愛情が一段階深まるのを感じ、子守歌を作りたくなりました。

自然とメロディが湧いてくるのでそれを書き留め、詩を付けていきます。

とても難しい詩作でした。

というのは、この子供に対して一体自分などに何が言えるだろうと思ったからです。

この世に染まり、つまらない恐れから自由になれず、神との繋がりも常に安心して信じ続けることが出来ないような自分が、神に最も近い場所にいて精神の無垢を保っているそんな存在に、自分「の」子が何だかんだなどと僭越なことを言える訳がないと思ったのです。

それで僕は詩の中で次のような言葉を綴りました。



夢の彼方から 訪ねてきた心よ

この星の空の色を 見せてあげよう

星のふるさとを 遠く離れるけれど

思い出の空の色を 忘れてはいけないよ



まどろみの中で すべてを識る瞳よ

穢れのないその声が 闇を溶かしている

心の翼を 私たちは祝うよ

あなたが生まれたことを 誰より喜ぶよ



これが僕が心から彼に対して思っていることでした。

宇宙の最高の宝物である人をたまたま自分は預かる身なのだと、そういう思いが薄くなることは一日としてありませんでした。

これからもないだろうと思います。



外に出れば、家の中から窓越しに聞いても、多くの親は子供を私物のように扱い、悪気もなく子供の心に無数の傷を負わせていることを見て取ります。

そんな子供を見ていると、もう早くも骨格が歪み、声は緊張感に満ちています。

そんな子が、放っておいて幸せになれる訳はないのです。

いや、自然療法的観点から忌憚なく言えば、将来の心身の病気は既に決定しています。

もしその子が魂から幸せになりたいと望んだら、ようやくそこから脱出するための長い戦いが始まるでしょう。

しかし愛の欠如という呪縛から解放されるのは一体いつのことでしょうか。

人生のどれほどの時間を、その戦いにつぎ込まなければならないのでしょうか。

そうしている間にも、その子供は不幸の感覚を更に強くし、人との争いや無理解の中で傷つき続けます。

そんな世の中が続いて良い訳はないのです。



僕は僕の子供に、生まれてきた喜びや生きている幸せを、今持っているまま持ち続けてほしいと願っています。

それを僕が教えることは出来ません。

今なお思い出しきれずにいるほど、忘れてしまったのですから。

ただ最初からそれを知っている彼にはこれからも忘れないでいてほしいと願い、そのために出来るすべてのことをしていくことが、僕にできるすべてなのです。

不純を覚えた親が純粋な存在である子から学ぼうと心を宿せた時、個人は、家庭は、社会は、はじめて幸せと自由に向かっていくことが出来ると思います。



面白いことに胎盤が完成すると我が子は空中浮遊をやめ、お腹に収まりました。

それからは、僕が彼と「会話」することはそれまでよりは少なくなりました。

でもお腹を当てると交流することが出来、やはり予言や直感の通りとても父親が好きな子でだと分かります。

だから僕がうっかり数日触らないでいると、機嫌を悪くしている、なんてこともありました。

たまたま運転中に「いじけてるみたい」となかに言われて、お腹に触ると子供はこう言います。

「音楽止めて?」(*語尾上がり)

それでカーステレオを止めて暫く触れながら交流していると、笑顔が心の目に浮かんできます。

「安心したみたいだね」

同時に感じ取った僕となかがそう言うと、なかのお腹の張りが弱まる。

そういうこともたびたびありました。



お腹の張りは子供の心の緊張を表しているのだということは、その後も何度も体験しながら理解していきました。

なかが緊張したり恐れたりすると、子供も動きを止めるのです。

だから安産をされたいのなら、心を恐れや緊張から解放することだと思います。

とつきとおかは肉体時間の原則ですが、その月日をどう過ごし、そしてその終わりにどう産むか、生まれるかということは、心の領域に残された膨大な選択の自由の結果なのです。



さて、僕たちはこのようなライフスタイルですから当然自然分娩を望んでいました。

調べていくとそれは現在では非常に実現し難いことなのだと分かりました。

聞いた程度の話では、産みたい・生まれたいタイミングで産むということは医療の現場の都合で難しく、帝王切開は必要以上に多く、また一方では無痛分娩も広がっていて、ともかくお産を人為的にコントロールするという方向に時代は流れているようです。

それでなかは医師がいない、助産師のみによって構成される助産院を探してそこにお世話になろうと思ったのですが、思うところあってそこはやめ、医師のいる別の産婦人科を頼ることにしました。

とても良い産院で、自然分娩を中心に据え、医療介入はあくまで補助として控え、大切なのは方法論ではなく幸せの結果であるという、非常に高度なバランス感覚に支えられた考えを打ち出されていたからです。



お産の主役は母と子であって、医者ではないし、方法論でもないはずです。

僕がこのような長文を書いている理由は実は、この辺りにあります。

「お産は痛い、怖い」

そういう言葉が世に満ちています。

まるで主役を舞台から追いやろうとする呪縛のように。

その言葉になかも最初、怯えました。

その助産院をやめたのも、案内の時に聞かされた話、ではなく話ぶりが、あまりにも凄惨でネガティブだったからです。



僕は姉3人がいる者として、女性は概してお喋り好きだと思います。

男性は自分の好きな物や事に対して饒舌ですが、女性は自分の体験したことに対して饒舌になる傾向があります。

またお産は男性には体験できない、女性だけのものです。

そして人間はネガティブな話に惹かれがちです。

結果、お産に関しては、お喋り好きな女性から成るお産体験者が、悲惨なお産の話を力説し、気付けば耳に入ってくるのはその話ばかり、それでお産が怖くなる、という情勢が出来上がっていると思うのです。

厄介なことにお産の時の痛みは、脳内の分泌物によって忘却されるそうです。

するとあんなに痛くて辛くて怖かったお産も「大丈夫!」に変わります。

その結果、このような話法が出来上がります。

「凄く痛いよ、あなたが思っているより百倍痛いよ。

でも大丈夫。みんなやっているから。出来るから」

こんなことを言われたら、普通怯えます。

この話法の明らかな問題点は、言う方は励ましているつもりなのだろうけれど、実際には怯えさせる働きしかしていないという所にあります。



こうして、「絶対そうだとは言い切れないんじゃない?」といった、男性による(女性には嫌われがちな)中立的客観的な見解を僅かにも挿し込むことが出来ない中で、死ぬほど痛かった・辛かった・もう絶対無理と思った、でも産めた自分、という苦労からのサクセスストーリーが、体験者の口からは誇らしげに語られ、未経験の妊婦やすべての女性をいたずらに怯えさせる、という、一種の女社会のしごきのようなものが継承されていると僕は思う訳です。



でも僕は自然療法師として、また多分自分が産んだことのある前世の記憶によって、「産む時に泣き叫ぶ訳がない。それは間違っている」という確信がありました。

なぜなら本当にそこまで痛いなら悲鳴は出ません。



ではなぜ悲鳴を上げるのか?

これは、なぜジェットコースターに乗ると人は手を上げ、きゃーと言うのか、という問いと同じです。

「そうすることになっているから」です。

アタマで決めている訳ではないけれど、自然とそう反応してしまう。

こういう思考回路が僕たちの脳にはあるんです。

こんな話をしても全世界の姉御たちは怒るか嘲笑うかするでしょう。

そんなものと一緒にするな、と。

でもこの延長線上の発想と実践によって、つまり「お産は痛い」「お産では叫ぶ」という〈慣例〉をわざわざ取りにはいかないぞ、という決意によって我が妻は安産だったということは、覆せない事実なのです。



女性が今までのように慣習的思考や感情に飲まれてお産を怯え、お産を誇っている内は、「楽々幸せなお産」はなかなか叶わないものだと思います。

逆に言えば、正しく臨めばそれは実現できるものなのです。

だから僕は、そもそもお産を決して体験できない男性ですが、恐怖と戦いに満ちていないお産に関する言葉を聞きたいと願っている誰かのために、今のこの文章を書いています。

ちゃんと心と体を整えればお産は必ず綺麗に上手にできますよ、と。



現実を作り出すのは思考です。

お産は怖いと思い込めば、怖いお産が待っています。

楽しいと思うことが出来れば、楽しいお産が待っています。

それだけのことです。

お産だからと言って特別視することはありません。

楽しいことをしている時、我々は何と自然に振る舞い、時の経つのも忘れていることでしょうか。

嫌なことをしなければならない時、我々は何とぎこちなく振る舞い、まだかまだかと終わりを待つことでしょうか。

そして不安や不満を口にし、終わった後では、未経験者に苦労を力説することでしょうか。



「お産は怖いよ辛いよ」

そんな言葉に惑わされないで下さい。

あなたとあなたの子という宇宙でたった一組のかけがえのない出会いの時に、ウマの合わない外野の言葉など耳に入れる必要はありません。

どうやって生まれたいか、あなたはお母さんとして何が出来るのか、あなたがアタマで分かっていなかったとしても、あなたの子供が全部テレパシーで教えてくれていますよ。

あなたが今日食べたいものも今日やってみたいことも、すべて赤ちゃんが耳打ちしてくれているのです。

ただその声ならぬ手招きに安らいでついていけば、必ず喜びに満ち溢れたお産ができるでしょう。


なかのお産の日のことを語りましょう。

予定日は11月2日でした。

でも夢で、11月1日に生まれるとなかは告げられていたようです。

しかしこのような、月と同調する暮らしをしている者の子が、月のリズムを外してくるとも思えません。

それで新月か満月だろうか、などと色々思いを巡らせていました。

先読みして何日か候補を挙げ、バースチャートを読んだりもしました。

色々な人格の可能性が、彼の辿るであろう未来をぼんやりと浮かび上がらせていました。



結局生まれることになったのは10月27日。

新月の前日でした。

8時に僕が目を覚ますと、6時頃から痛みが来ていると言います。

でもまだこれが本陣痛なのか定かではない様子でお風呂に入って体を温めたり、朝食の準備をしたりしていました。

毎朝のように神棚に手を合わせると「今日生まれる」という声が聞こえますが、まさかと思いました。

8時半に急にギアが入ったように痛みが重くなると、産院に急行、9時に到着しました。

すでに子宮口が全開でした。

初産婦は陣痛が始まってから子宮口が開くまでに物凄く時間がかかると言います。

本人の自覚ではもう全開10cmと思っても測るとたったの2cm。

嘘でしょまだ苦しまなければならないのかと愕然とする初産婦が多いそうです。

だから8時半から本陣痛で9時には全開という凄さがお分かりいただけるでしょう。

そして全開なので「もういつ出てきてもおかしくない」とのこと。



陣痛は波のようにやってきます。

それは単なる痛みではなく、宇宙から子供をこの星に送り出す力。

子供もこちらに生まれてきたいと望んでいます。

産んであげたい思いと生まれたい思い、この二つの思いが体に強力な運動を引き起こしそれが痛みとなるのです。

昨日までは絶対にこの子を出さない、今出したら死んでしまうと、本能が固く閉めていた扉が開いてく、その時どんな軋み音がするのか、それが陣痛だと思うのです。



なかの姿は本当に圧巻の一言でした。

まさに先ほどのジェットコースターの例えのように、ここは叫ぶ、ここは痛がる、という無意識界と体内に張り巡らされた行動パターンには目もくれず、自分の子供の運動に集中し、あくまでも平静の中で呼吸を保ち続け、瞬間瞬間に、子供にとって最適な在り方を選択し続けていました。

叫びも泣きも、弱音を吐きもしませんでした。

と言っても歯を食いしばって自制していたのではありません。

ただただ子供のためにすべての意識を集中し、余計なことをしなかったのです。

この様子を助産師さんは「神々しかった」とさえ言っていました。



そして10時半。

僕たちの子供がこの世界にやって来ました。

青白く力ない存在。

一瞬凄く不安になりました。

でもその後適切な処置をしていただいたお陰で、ものの数時間の内にはすっかり赤ちゃん顔になりました。

助産師さんたちは本当になかに驚いたようで、「見本のビデオにしたいくらいだった」「初産婦なのに凄い」そして「何かやってらっしゃるんですか」と尋ねました。

本当に、あの日のなかは美しく力強く、神聖でした。



この出来事にいくつか言い足すと、良いお産イメージを持ち続けたから安産だった、というほど単純なのではありません。

まして、夫が家事を全部やってくれたから楽だった、でもありません。

なかはこの日のために膨大な準備をしてきたのです。

その最も基礎の部分は体作り。

化学物質を出来るだけ取らず、栄養をバランスよく取る。

(「妊婦はむくむ」この定説もなかは覆しています。)

体を酷使するよりも休める習慣、柔軟体操、瞑想、深い呼吸の意識。

感情をため込まない習慣、ネガティブな思考に引きずられないだけの精神力、そして喜びと可能性を心の中に探求し続ける歳月。

これはもう何年も何年も、なかが自分のために繰り返してきた日々の営みです。

そして妊娠してからは骨盤ケア、マタニティヨガ、胎児とのテレパシックな交流、そして自分にとって最高の分娩環境を用意すること。

なかにとっては、自分の信じるお産の道を、惑わされることなく歩み続けたとつきとおかでした。



僕は思うのです。

体のことも心のことも日頃顧みず、お産は痛い怖いという言葉を鵜呑みにし、何となくとつきとおかを過ごし、特に用意もなく出産する。

それでは安産も難産も所詮は運任せでしかないのです。



自分は何をしたいのか、どうありたいのか。

まずはそこを問う所から何事も始まります。

でも多くの人はそれを億劫がり、みんながやっている通りで良いだろうと安易に考える。

その運任せの結果として痛いお産を体験し、自分の体験が不可避の現実であるかのように錯覚して、痛くて辛いお産体験記を力説し、「後輩」を怯えさせる。

この負の連鎖が終わってほしいと願うのです。



なぜならお産は確かに人生のたった一日のことですが、そのお産の体験の質が、子供の一生を決定してしまうと言っても過言ではないからです。

皆さんの中に拭い去れない恐怖や不信感や疑惑や欲求があると思います。

それはいつ始まったと思いますか?

それは胎児期、そして乳幼児期です。

実際乳幼児期にすでに性格の方向性は概ね決定し、その後は余程のことがなければ変更されません。

そしてその胎児期と乳幼児期の間にある明確な一日がお産です。

自然分娩や胎内記憶の第一人者の人は口を揃えて言っています。

赤ちゃんが自然に、自分の望む時に、自分の望むように母親と同調して生まれることが出来た子は無駄に泣かない、おっぱいの吸い付きが良い、首がすわるのもおむつが取れるのも歩き出すのも早い、と。

人生、ここで決まってしまうようなものなのです。



勿論、僕たちには常に無数のチャンスが死ぬまで与えられ続けます。

でも野菜を栽培したり作品を作ったりすることがある人なら分かるしょう。

最初に失敗したものは、もう直せないか、あとで直そうと思っても本当に手間がかかるんです。

僕のように人並みではない特殊能力を持っていてさえ、自分のことを理解し、自分を本当の意味で大切にできるようになるまでには39年もかかります。

今でも答えが出たのかどうか・・・



自分は回り道を沢山した、だからこそ同じように回り道をしている人を助けることが出来ている。

これは事実であり僕の誇りでもあります。

でも先ほども言いましたが、それはこの時代、インディゴ世代の鈍足での需要と供給に過ぎません。

より喜ばしくも恐ろしくもあるだろう更なる自由な近未来、膨大な選択肢を前にして回り道をすることなく、自分が生まれてきた意味と自分が為すべきことを最初から自ずと知っている新たなる子供が、この世界には必要だと思います。

それは「自分もそんな道を辿りたかった」と僕が心から憧れるような、もっとずっと良い道なのです。

この星の文明を、幸せに導く道なのです。



生きることについて、子を持つことについて、産み育むことについて、考え続け、感じ続けてきたとつきとおかでした。

自分がなぜ生まれてきたのか、何に向かって生きているのかも、考えました。

そして思うことは、月並みですが、生まれてきたことは素晴らしく、生きている間にこの命とこの心を精いっぱい花開かせることが、この宇宙に対して出来る一番大切な贈り物なのだということ。

私にしか出来ないこと、あなたにしか出来ないことが必ずあって、それを世界は待っているのだから・・・ということ。



妊娠している人、出産予定のある人という枠を超えて、すべての、こんな話を聞きたかったと思われる人に、僕がこの期間に見つけたこと気付いたことをお伝えしたいと思い、ここまで書きました。



たった一人でも良いです、この文章が後押しとなって、幸せな命がこの星に生まれることを願いつつ、終わりとします。



読んで下さってありがとうございました。





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